サン=テグジュペリ
星の王 子さまの謎に挑戦
読書
引用するテキストは岩波書店の内藤濯訳オリジナル版『星の王子さま』です。
特に書名の指定がなく、ページが記載してある場合はこの本のページです。
【天文学者】(p.25)
1909年に、王子さまのふるさとの星を発見し万国天文学会議で堂々と証明したものの、着ている服でその内容を判断され本当にされなかったが、1920年にたいそう立派な服を着て証明すると今度はみんなに受け入れられたという【天文学者】のエピソードについては、『星の王子さまの世界』では、天体のことは分かっていないことが多く、一度しか見られたことがない星については確かめようがないとしている。また、万人が満足する決定的な証拠というものは存在しない例としてとらえている。
しかし、私は以下のような極めて重要な警告が込められていると推測している。
特に具体的に示された1909年、1920年が特別な意味を持つように思われた。そこで『20世紀全記録』(講談社)で調べてみたところ、1909年には関係すると思われる事件はなかったが、1920年にはきわめて重要と思われる事件があった。
同年2月24日には、ドイツ労働党の大集会が行われている。
これを機にドイツ労働党は「国民社会主義ドイツ労働党(蔑称ナチス)」と改称し、その後めざましい発展を遂げることになる。すると、1909年もナチスに関係があるのかもしれない。しかし、1920年がナチス初の大会であるから、視点を変えて当時20才だった1909年のヒトラーについて調べてみたところ、村瀬興雄著『アドルフ・ヒトラー』(中公新書)によれば、この年のヒトラーは兵役を逃れる目的で浮浪者収容所に入っている。
1909年には浮浪者にすぎなかったヒトラーが、1920年には記念すべきナチスの大会で弁舌をふるっていたという事実は、ぴったりと天文学者のエピソードと重なりあう。ヒトラーへの批判とともに、一人の男にわずか11年で、それほどまでに権力を握らせてしまった社会への批判と反省ではないか。
しかし、『星の王子さま』が執筆された当時、サン=テグジュペリを含め文化人の間で、1909年のヒトラーの経歴まで明らかにされていたかどうかはわからない。ただ、執筆時にはすでに出版されていたヒトラーの『わが闘争』に、「1909年から1910年にかけて、わたしはもはや補助労働者として毎日パンを稼ぐ必要がなくなっていて・・・」(『わが闘争(上)』角川文庫/P.63)と、貧しかったが図工兼水彩画家として暮らしを立てていたという記述があるから、サン=テグジュペリは、あるいはこれを目にしたのではないか。いずれにせよ、1909年のヒトラーは、浮浪者もしくは貧しい画家であった。
なお、P.25の望遠鏡をのぞく【天文学者】の挿絵の横顔はチョビヒゲのヒトラーに見えてくる。